ツイてない日が続いていた。
電車に乗り遅れ、せっかく取れたアポをすっぽかしてしまったり、長く付き合っていた彼女に突然振られたり。
だから、というわけでは無いが、ふと宝くじを買ってみる気になった。
「宝くじを買ったんだよ」と私は友人に告げた。
友人は驚きの表情を浮かべ、「まさか当たったの?」と尋ねた。
私は苦笑いしながら、「そんなことあるか」と答えた。確かに、私が宝くじで大金を手に入れるなんて、世の中の摂理に反するようなことは起きないだろう。
それでも、つい買ってしまったのは、人間の欲望というものには抗えないからだ。
いつかは当たるかもしれないという微かな望みが、私の胸をざわめかせていた。
その日の夜、私は寝床で宝くじの番号を確認した。
当たりくじかどうかを確かめる瞬間は、どんなに冷静な人間でも胸が高鳴るものだ。
そして、宝くじの番号を確認すると、当然のごとく、私の番号は外れていた。
まるで冗談のように、私の運命はいつも通りのつまらなさを示していた。
「やっぱり当たらないか」と自嘲気味につぶやいた私に、友人は同情の眼差しを向けた。
「でも、もし当たっていたら、どうするつもりだったの?」と友人が尋ねる。
私は深くため息をつきながら、「それはないわ」と答えた。
宝くじで大金を手に入れたなら、私の人生はどう変わるのだろうか。
幸福な生活を送ることができるかもしれないが、それが本当の幸せなのかはわからない。
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私は日々、自分の存在意義を模索している。
宝くじの当選金では、それは叶わないだろう。
そう考えながら、私は再び眠りについた。
宝くじの夢を見ることもなく、ただ静まり返った夜が訪れた。
翌朝、友人からのメッセージが届いた。
「今日の新聞を見てみろよ」という短いメッセージだった。
何事かと思い、新聞を手に取ってみると、そこには「宝くじの当選番号が誤って発表された」という記事が載っていた。
私は思わず息を呑んだ。
私の手元に残っていた宝くじを見つめ直すと、まるで信じられないような事実がそこにあった。
私の宝くじの番号は、新聞の訂正された当選番号と一致していたのだ。
私はしばらくその事実を受け入れられずに、何度も何度も宝くじの番号と新聞の当選番号を見比べた。
しかし、どれだけ見ても結果は変わらなかった。
私が何も期待せずに買った宝くじが、まさかの大当たりだったのだ。
私が大声を出して喜ぶことはなかった。
ただ、呆然とその現実を見つめていた。友人に連絡をし、「宝くじが当たった」と伝えると、友人は驚きの声をあげた。
「おめでとう!でも、どうするの?何に使うの?」と友人が興奮気味に尋ねる。
私はしばらく考えた後、「まだわからない」と答えた。
こんなに大金を手にしたことがない私には、まだその現実が信じられなかった。
ただ、これで何かが変わるのだろうか、という不確かな期待感だけが心の中に広がっていた。
その日の夜は、ほとんど眠れなかった。
何度も何度も目を覚まし、宝くじの番号を確認した。
しかし、毎回結果は同じだった。
それは、私が宝くじに当選したという事実だ。
翌日、私は銀行に行き、当選した宝くじの手続きを行った。
銀行員も驚きの表情を隠せない様子で、私に祝福の言葉を述べ、私はただただ混乱したままでそれに応えた。
その後の日々は、まるで夢のようだった。
当選したことが広まり、知り合いからは祝福の言葉が届いた。
しかし、私はまだ宝くじに当たったという現実を受け入れられずにいたのだ。
当選金をどう使うか、それについて考えてみた。
家族に何かプレゼントをするべきか、それとも自分のために何かを買うべきか。
しかし、結論は出ず、ただただ当選金が自分の口座に入っているという現実だけが頭を占めていた。
ある日、友人から「一緒に旅行に行かない?」という提案があった。
私は一瞬考えた後、「いいね」と答えた。
これまで自分が行きたいと思っていた場所に、これから行けるのだと思うと、少しだけ現実が楽しみに思えた。
その後、私は宝くじの当選金で旅行を計画し、友人と共に楽しい時間を過ごした。
私が宝くじに当たったという現実を、ようやく少しだけ受け入れ始めた瞬間だった。
旅行先は、ずっと行ってみたかったフランス。
美しい街並み、壮大な自然、美味しい食事、心温まる人々の優しさ。全てが新鮮で、全てが特別に感じた。
友人と笑いながら過ごす時間は、私にとってかけがえのない財産となった。
しかし、旅行から帰国した後、再び現実に戻ると、何となく虚しさを感じている自分が居た。
当選金で何をしたらいいのか、自分が何を求めているのか、自分自身が何を欲しているのか、全てが混乱していたのだ。
そんなある日、私は地元の児童館を訪れた。
子供たちが楽しそうに遊んでいる姿を見て、何となく心が温まった。
そして、ふと思った。自分が幸運を手に入れたのだから、それを他人にも分けてあげたいと。
その後、私は一部の当選金を児童館の運営資金として寄付することにした。
そのニュースが地元のメディアに取り上げられ、私の行動は多くの人々に知れ渡るようになった頃、私は宝くじに当たったという現実を、ようやく完全に受け入れることができた。
宝くじに当たったことで、私の人生は大きく変わった。
しかし、それは必ずしも良いことだけではなく、悪いことももたらす。
幸運は、その持ち主にとって時として重荷となることもわかった。
だからこそ、幸運を正しく使い、自分だけでなく他人にも幸せをもたらすことが大切だと、私は実体験から学んだ気がする。
※このストーリーはフィクションです。